Computer
パソコンとの付き合い
マイコン時代から
父親が情報処理系の研究者だったので、パソコンが家にやってきたのは80年代前半と早かった。小学校低学年。
やってきたのは APPLEII というキーボード、本体一致型の PC。熱暴走が怖くて夏は電源に氷を置いたりした記憶がある。とても特殊なインターフェースを持っていた。
とりあえずはゲームがやりたいのだけれど、ソフトを売っているところもないし買うお金もないから作るしかない。
昔は素人プログラムの配布は紙に書かれたソースコード。雑誌なんかにずらっと並んだコードを何日もかけて手入力して再現させていた。入力が終わっても、必ずどこかで入力ミスをしているからデバグも必要になる。そんな気の遠くなる作業をよくもやっていたものだ。
でも、そんなことをしていると、ちょっとずつ言語が分かるようになってくる。
高学年になったら自分でプログラムが作れるようになっていたし、中学生になったらマシン語(アセンブラ。0と1の世界を実感できる、PC が直接理解できる言語)が使えるようになって、C 言語も勉強した(しかし、実行環境がなかった・・・)。全盛期だった「マイコン BASIC マガジン」にプログラムを送って、2度ほど掲載された(なけなしの原稿料10000円から1000円の税金が取られた・・・)。
5年で浦島太郎になるとは
しかし、あくまでゲームをやりたい精神が原動力だったので、高校に入って完成度の高い市販のゲームが面倒な作業なく豊富に手に入る世界に住むようになったら成長ストップ。MS-DOS 以降を知らない人になった。
その後、渡しは一気にアナログ化が進んだ。
卒論を手書きで書いたのは私くらいのものだ。
ふと気が付けば PC 界は Windows 時代に入っていて、もうすっかり PC 界が変わっていた。
DOS/V という共通規格も出来ていて、ハード界もソフト界も全然違う。
もう、開発をするスタイルも使われる言語も違い、浦島太郎状態。
マウス標準装備?! 一度に何個もアプリケーション動かせる?! BASICでプログラム組めない?! と驚きの連続。HDD も CD-ROM ももう標準装備だし。
CPU 8bit 4Mhzのクロック。メインメモリ64Kbyte。フルカラー8色。6重和音が延々とのさばっていた時代が終わったら、その後の進歩の早いこと。とうとうどれも1000倍の機能になってしまった。
昔は一般人が「PC 使えます」といえば「プログラム組めます」のことだったけれど「Windows とアプリケーション群の操作法を知っています」に変わってしまった。
その後、ワープロ機能欲しさに DOS/V 機を買って一から勉強。
サーバー&クライアントテクノロジーが一般化していたことも、会社員になるまでよく知らなかった(大きい声では言えないけれど)。
中学生時代のハングリー精神で前進を続けていたら、結構なプログラマになれたと思う。