Violin
バイオリンとの歴史
兄が弾いているのを見て面白そうだなと6歳から始める。すぐに冷めるも「続けていれば、将来必ずやっていて良かったと思う日が来る」との周囲の声を信じることにして細々と続けた。
大学に入ってからは軽音でギターをやるつもりだったのだけれど、友人に連れられてのぞいたオーケストラ部の溜まり場の雰囲気がよかったのと、その時の一目惚れ発生により悩んだ挙句入ってしまった。
これがクラシック音楽元年。
クラシック音楽に興味があるのは、誘眠効果についてくらいだったのだけれど、弾いてみたら聴くのはだるくても弾くのはいい!ことが判明。合奏の魅力(音楽の中に溶け込める感覚)を知ってはまりました。
ここに至り「続けていれば、将来必ずやっていて良かったと思う日が来る」が来たなと思った。
お寺に入ってからはたまにその地下室で弾く程度だったけれど、就職してから後輩に誘われて、音楽ボランティア団体に顔を出すようになった。好きなことをやりつつ、誰かの楽しみにもなるというのは嬉しいことだ。
やっていてよかったと思った時
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中2で大阪に引っ越すことになり、クラスでやってくれたお別れ会の最後に「タイスの瞑想曲」を弾いた時
終わったらたくさんの人の目に涙が見えた。ヘタクソだったけれど言葉では伝えられない何かを伝えられた気がした。
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高3で、素人が芸をするラジオ番組に出演した時
毎日放送、大阪ローカルの「土曜だアミーゴ!」という、素人が心斎橋のマツダのショールームの観客の前で芸をする番組に出たくてしょうがなかった高3の春。
芸は歌かお笑いがほとんどなのだけれど、自分にはバイオリンくらいしかなかったので、カラオケバイオリンで参加。カラオケの歌の部分をバイオリンで弾くだけ。
この番組、観客の受けも加味されて審査員の合格をもらうと次の週も出場できて、5回合格するとチャンピオンになるという仕組み。その後、チャンピオン4人そろうと、グランドチャンピオン大会が開かれて、チャンプオブチャンプが選ばれる仕組み。
最初はバイオリン登場の新鮮さだけでいけたものの、すぐ飽きられるだろうと思い、友人にギター、タッパー、琴と伴奏を頼んだり、選曲や姿かたちなんかで笑い取りに走ったりと工夫していたら予想以上に受けがよくて、気が付けばグランドチャンピオンに。
賞金15万は当時でかいお金だったけれど、なによりいい思い出ができた。一緒に出演していた人たちの中で、プロの芸人になった人も何人かいて、テレビで見ることもあった。
その後、他の公開番組の詩の朗読のコーナーの BGM を弾いてくれないかとの依頼が毎日放送から来たが、自分の演奏が音楽単品として聞かせるだけの価値はないからと辞退(もったいないけど、確かにそうなので・・・)。
実はこれをバイオリン活動の納めにしようかななんて思っていたのだけれど、番組終了後、舞台裏で番組の司会をやっていた東野幸治にそのことを見透かされたかのように「おまえ、これからもバイオリン続けろよ」と言われたことで、やっぱり細々でも続けようという気になった。
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ラストバレー
その音楽ボランティア団体は定例(といってもまだ2回目だった)で、ある病院でクリスマスコンサートをそのロビーにて行っている。
今年は「くるみ割り人形」のバレーの伴奏としての演奏で、それに参加させてもらった。演奏後、首脳陣が来年でなく今年のコンサートでバレーができるよう尽力した理由を聴いた。
ホスピス棟で病床に着くバレリーナだった女性に、どうしてもバレーを見せてあげたかったのだそうな。
ラグビー部時代には実感できなかったその理念「One for All, All for One」という言葉が心に蘇った。小さくて大きな話。
その他、思い出
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演奏旅行でオーストリアとオランダにいけた
一回生終了の春に、ヨーロッパの幾つかの町で演奏会を開きつつ指導も受けるという大胆な企画が大学オケにてあった。ウィーンフィルの本拠地での演奏など、当時はその価値もよく知らぬままに体験。どっから集まったのか、席も毎回満員で受けもよかった(と感じた)。
海外体験も2度目で新鮮。ヨーロッパはもちろん初めてで、街の雰囲気や食べ物にいちいち感激。
3週間、合宿みたいにみんなで楽しめたのが何より楽しかった。
安いワインとチーズ&クラッカー以外に何もいらない夜が続く。
アムステルダムで勇気を出して友人とマリファナを買ったものの、やっぱやばいよとトイレに流した爽やか青春の日々よ。
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路上演奏で一万円
酔っ払って駅前で友人と楽器を弾いていたら(しかも津軽海峡冬景色とか)、上を行くヨッパーのおじさんがいたく気に入ったらしく、一万円くれた。そういうつもりじゃなかったのだけれど、更なる研鑚への序章としての2次会費用として、頂戴した。おじさん、朝に後悔しただろうな。
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4人の社会がお寺行きの伏線に
私が誘われた弦楽四重奏団は、なんだかいつもリーダーの下心に支えられて結成されていた。その後の動向に関わらず、それを知ってしまうと、自分はその人の欲求を満たすための道具として使われたとすごく嫌な気分になった。でも、自分だって機会があればそれをしてしまうだろうということを認めざるを得なくて、人間というもの自体が嫌いになっていった。
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音楽に世界を見た
4回生の前期の定期演奏会への出演を辞退した。だらだらと長い練習に時間を取られるのに辟易していたのと演奏曲に魅力を感じなかったのもあるが、部のエゴ渦巻く人間関係に嫌気が差していたのが主理由。他の大学の演奏会へのエキストラ出演をはしごして、新鮮な人間関係に触れるほうを選んだ。
そして、初めて観客席で皆の演奏を聞くことになった。
そこで私は、私の好きな人、私の嫌いな人を見た。
自分の持てる力の最高のものをこの音楽のためにつぎ込もうという意志で結ばれた人々を見た。
目を閉じると、不完全だけれど完成された、音楽。
宇宙から見た地球の写真を見て、戦争という現象のちっぽけさを感じた時のことを追体験し、みんなと音楽を作ることを一回放棄してしまったということの大きさを想い、ちっぽけな自分に涙が流れた。
Eroica(Beethoven Sym.3)はその後、最も好きな曲の一つに加えられた。